士農工商のバナナアート
「士農工商って言葉知ってるかい?」
古びた書斎で、猫背の老人が眼鏡の奥の目を細めて僕に問いかけた。老人は顎鬚を蓄え、見るからに歴史の生き証人といった風貌だ。彼が一体何者なのか、僕は知る由もなかったが、ひょんなことからこの書斎に迷い込み、老人の話を聞かされている。
「ええ、まあ…武士、農民、職人、商人…でしたっけ?」僕は自信なさげに答えた。
老人は徐に立ち上がり、書斎の壁一面に飾られた掛け軸を指差した。そこには力強い筆致で「士農工商」の四文字が書かれていた。
「真の『士』とは、己の信念を貫き通す者。たとえそれが、どんなに滑稽で、理解され難いものであろうとも…」
老人はおもむろにポケットからバナナを取り出し、真剣な表情で皮を剥き始めた。
「真の『農』とは、自然と対話し、命を育む者。たとえそれが、道端の雑草であろうとも…」
老人は剥いたバナナの皮を丁寧に鉢植えに植えた。
「真の『工』とは、創意工夫を凝らし、新たな価値を生み出す者。たとえそれが、使い道のない奇妙な発明品であろうとも…」
老人はバナナの果肉を粘土のようにこね始め、奇妙な形を作り始めた。それは…どう見ても、ただのバナナの塊だった。
「そして、真の『商』とは…そう、このバナナアートを、いかに高値で売りつけるか、その手腕にかかっている!」
老人は目を輝かせ、完成したバナナアートを僕に突き出した。
「いかがかね?この唯一無二の傑作、たったの1万円で譲ってやろう!」
「…あの、これ、ただのバナナですよね?」僕は言葉を失った。
老人はニヤリと笑った。
「そうじゃ。だが、そこに価値を見出すかどうかは、君次第じゃよ」
僕は、この老人が一体何を言いたいのか、全く理解できなかった。ただ一つ確かなことは、この書斎から一刻も早く逃げ出したいということだけだった。「…やっぱり、結構です」
僕はそう言って、書斎を後にした。背後から老人の高笑いが聞こえてくるような気がした。