定時退社マシーンのジレンマ
雨の中、ずぶ濡れになりながら会社から出てきた男、田中一郎。その顔はまるで世紀末を迎えたかのような絶望に満ちていた。
「今日は絶対定時で帰るって決めてたのに…。」
一郎は、社内で「残業しないマン」として名を馳せていた。どんなに仕事が山積みでも、どんなに上司に睨まれようとも、定時になれば彼はいつも颯爽とオフィスを後にする。それゆえに、同僚からは陰で「タイムカードの申し子」「定時退社マシーン」などと呼ばれていた。
今日は特に楽しみにしていた予定があった。世界的に有名なギタリスト、ジミヘンドリックスの幻のライブ音源が、なんと近所の古レコード店で限定販売されるのだ。しかも、先着一名様限り。一郎は、この日のために有給休暇も取得済みだった。
しかし、そんな彼の完璧な計画を打ち砕いたのが、突如として降り出したゲリラ豪雨だった。今日は朝から雲行きが怪しいとは感じていたものの、まさかここまでとは…。
「あのレコード…もう売れちゃったかな…。」
肩を落とし、トボトボと駅へと向かう一郎。すると、前方に見慣れた後姿が。それは、社内で唯一一郎の定時退社主義を理解し、時に共闘してくれる心強い味方、佐藤二郎だった。
「二郎さん!」
一郎は、まるで砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、二郎に駆け寄った。
「一郎さん…こんな雨の中、どうしたんですか?」
二郎は、いつも通り飄々とした様子で尋ねる。
「実は今日、どうしても手に入れたいレコードがあって…。」
一郎は、事情を説明した。すると二郎は、目を輝かせながら言った。
「あの、ジミヘンドリックスの幻の音源ですよね!僕も狙ってたんですよ!」
まさかのライバル出現に、一郎は驚きを隠せない。
「でも、もう売り切れちゃってるんじゃないかな…。」
一郎が諦め気味に呟くと、二郎はニヤリと笑った。
「大丈夫ですよ。僕には秘策があるんです。」
二郎が取り出したのは、なんと小型のドローンだった。
「これで店の中の様子を偵察して、まだレコードが残っていたら店員さんに連絡して取り置きしてもらうんです!」
「そんなことできるんですか!?」
「もちろん!このドローンには、高性能カメラとスピーカーが搭載されているんです。店員さんと会話もできますよ。」
二郎は、ドローンを巧みに操縦し、レコード店へと飛ばしていく。一郎は、固唾を呑んで見守っていた。
しばらくすると、ドローンが戻ってきた。二郎は、ドローンから送られてきた映像を確認し、ガッツポーズをした。
「まだありましたよ!一郎さん!」
「本当ですか!?」
一郎は、歓喜の声を上げた。
「早速、店員さんに連絡して取り置きしてもらいましょう!」
二郎は、ドローンを使って店員さんと交渉し、無事にレコードの取り置きに成功した。
「やったー!」
二人は、ハイタッチをして喜びを分かち合った。
「二郎さん、ありがとう!本当に助かりました!」
「どういたしまして!これで、一緒に幻の音源を聴けますね!」
二人は、雨の中、意気揚々とレコード店へと向かった。
しかし、店に着いてみると、シャッターが閉まっている。
「あれ?閉まってる…。」
二郎が、恐る恐るシャッターに貼られた張り紙を見ると、そこにはこう書かれていた。
「臨時休業」。
一郎と二郎は、顔を見合わせ、しばらくの間、沈黙した。
そして、同時に叫んだ。
「なんでーーーーー!!!」
なんとドローンは会社の上司にハッキングされて偽の映像を見せられていたのだ。
雨は、ますます激しさを増していった。