嫌いボタン実装を喜ぶ男の狂気
「おい、二郎!聞いてるか二郎!」
けたたましい声で僕の思考は乱暴に中断された。向かいの席に座るパンチパーマにサングラス、顎髭を生やした強面の男、それが僕の友人、吾作だ。彼はいつも唐突で、そして大抵ろくでもないことを言い出す。
「聞いてるよ、吾作。そんなに大声出すな。何の話だ?」
僕は冷静を装いながら答えた。吾作はサングラスの奥の目をぎょろつかせながら、テーブルに置かれたスマートフォンを指差した。
「Twitterに『嫌いボタン』が実装されるらしいんだ!」
何やら物騒な単語が飛び出した。嫌いボタン?そんなものが実装されて一体誰が得をするのだろうか。
「嫌いボタンか…一体誰がそんなもの欲しいんだ?」
「俺だよ、二郎!嫌いな奴のツイートに片っ端から嫌いボタンを押してやるんだ!」
吾作は目を輝かせながらそう言った。彼の脳みそはいつも単純明快、そして恐ろしく短絡的だ。
「待てよ吾作。そんなことしたらお前が嫌われるだけじゃないか。」
「大丈夫だ!俺は嫌われてなんぼの男だ!むしろ喜んで嫌われに行くぜ!」
彼の自信はどこから来るのだろうか。いや、もしかしたら自信などではなく、ただのバカなのかもしれない。
「…とりあえず落ち着け吾作。嫌いボタンはまだ実装されてないんだろ?」
「あぁ、まだだ。だが実装されたらすぐに教えてくれ!俺の嫌いボタン地獄を見せてやるぜ!」
吾作はそう言い残すと、勢いよく立ち上がり、店を出て行った。彼の背中には「地獄の使者」と書かれた特攻服が輝いていた。一体どこでそんなものを手に入れたのだろうか。
僕は一人残されたテーブルで、深くため息をついた。吾作のせいで疲れた。しかし、一つだけ確かなことがある。もし嫌いボタンが実装されたら、この世界はきっと、ものすごく面倒くさいことになるだろう。
後日、僕は吾作から興奮気味に電話を受けた。「二郎!嫌いボタンが実装されたぞ!地獄の始まりだ!」と叫ぶ彼の声は、どこか楽しそうで、そして少しだけ狂気に満ちていた。僕は静かに電話を切り、そっとTwitterのアプリをアンインストールした。この世界が嫌いボタン地獄と化す前に、僕は静かに暮らしたいと思った。
そして数日後、吾作から再び電話がかかってきた。「二郎!大変だ!嫌いボタンが廃止された!」と彼は嘆き悲しんでいた。どうやら、嫌いボタンはあまりにも多くのユーザーから嫌われ、早々に廃止されたらしい。僕は「そうか…」とだけ返事をし、電話を切った。吾作の地獄は一瞬で終わったのだ。少しだけ可哀想だと思ったが、きっと彼はすぐに次の地獄を見つけるだろう。彼はそういう男なのだ。
僕は再びTwitterのアプリをインストールした。静かな世界が戻ってきて、少しだけホッとした。しかし、心のどこかで、吾作の次の地獄を少しだけ期待している自分もいた。彼の行動はいつも予測不能で、そしてどこか憎めない。もしかしたら、彼こそが真の地獄の使者なのかもしれない。
僕はそんなことを考えながら、コーヒーを一口飲んだ。そして、静かにつぶやいた。「吾作、次はどんな地獄を見せてくれるんだ?」
吾作のいない静かなカフェで、僕は一人、彼の帰りを待った。